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つばめ翻訳のブログ

在宅フリーランスで翻訳業をしています。翻訳の仕事、勉強、イベント、読書と言葉について書いています。

隠れる/隠す・生む/生まれる

先日、毛布を広げて頭からかぶった子どもが、「かくす! かくす!」とはしゃいでいました。どうやら「自分のことを隠してるんだ」と言っている様子。「そういうときは『隠れる』って言うんだよ」と話しながら、「『隠れる』は自動詞なのに受動態みたいな形だな……」とぼんやり考えていました。

改めて検索しましたら、「隠れる」はラ行下一段活用動詞で、「れ」は活用語尾の一部だそうです。受動態でもなんでもないし、「~れる」で終わる自動詞は他にいくらでもあるのに(潰れる、腫れるなど)、「れ」が入ると何となく受動態っぽいと感じてしまうなんて、私の語感はなんともいい加減です。たぶん、同じ音である助動詞「れる」に受け身の意味があるので、受動態を連想するのではないかと思います。

毛布に隠れた子どもを見ながら思い出したのが、高校の現代文の教科書にあった「I was born」という詩です。長年教科書に採用されているそうなのでご存じの方も多いと思いますが、一部抜粋しますとこのような作品です。


その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

−−やっぱり I was born なんだね−−
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
−−I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。−−

(『現代詩文庫12 吉野弘詩集』[思潮社、1968年]より)


高校生の私は、教科書の思惑通りといいますか、なんとも素直に「本当だ。『生まる』、"I was born"、両方とも受け身だ」と強い衝撃を受けました。それからは、「生まれる」、"be born"という言葉を読んだり使ったりするたびに、誕生する存在にとってはそれが自主性を超えた状況であることに思いを馳せてきました。

現代文の授業では「生まれる」と"I was born"について文法の側面からの詳しい説明はなかったように記憶しており、今回テーマとして書くにあたり、改めて大辞泉をひいてみました。すると、「生まれる」も、「隠れる」と同じラ行下一段活用の自動詞ではありませんか…! さらに"I was born"のほうも検索すると、「動作主を表すbyを補えないから典型的な受動態とはいえない」という説明がありました(「誕生を表す動詞の特殊性」平塚徹氏[京都産業大学])。

上記のリンク先で例文が引かれていた統語論の洋書の内容は確認できなかったのですが、「動作主を表すbyを補えないと受動態とはいえない」という説明が本当にそうなのか確信が持てなかったので、愛用の『英文法解説』を開きました。「受動態の文は、by~がある例よりもない例のほうが圧倒的に多い(p.274)」とあり、by~がなくても受動態にはなると言えそうですが、残念ながらbornに関する解説が見当たりません。

次に、手持ちの2冊目の文法書『徹底例解ロイヤル英文法』を開くと、「§176 注意すべき活用の動詞」の注に次のような説明がありました。


bear:「産む,運ぶ,耐える」の意味では bear―bore―borneと活用するが,「生まれる」という意味で受動態になる場合,後にby〜が続くときは borne を用い,「(いつ,どこで)生まれた」という意味では過去分詞の born を形容詞的に用いる。
My mother has borne three children. (母は子供を3人産んだ)
Philip was borne by an unknown woman.(フィリップは無名の女性の産んだ子である)
He was born in 1955. (彼は1955年に生まれた)


byで動作主を表すけれど、bearの過去分詞はborneとbornがあり、"born by 動作主"にはならないということですね。

”was born by"ではなく"was borne by"になるという点が盲点だったせいか、まだ半信半疑で、英和辞書も引いてみることにしました。

文法解説が易しい表現で書かれている印象がある『ルミナス英和辞典(第2版)』の動詞bearの項にはこのようにありました。


普通に「生まれた」の意味を表わす場合には be born を用いる(略). しかし, 能動態の完了形のときと後に by が続いて受身の意味が強いときには過去分詞 borne が用いられる.
♦I was born in 1962. 私は 1962 年に生まれた.
♦She has borne several children. 彼女は数人子供を産んだ⦅★She has had several children. のほうが普通⦆.
♦Margaret was borne by the queen. マーガレットは王妃の産んだ子であった⦅★Margaret was born to the queen. のほうが普通⦆.


「後に by が続いて受身の意味が強いとき」とあるのを見て、「受身の意味が弱いときはどうなんだ?」と思ってしまいました(そもそも、「受身の意味が強い」とは……?)。さらに、同じルミナスには"be born"がひとつの「自動詞」として見出し語になっていたため、「え、受動態の形で自動詞?」と面食らい、念のため英英辞典へ。

"Oxford Advanced Learner’s Dictionary"では、


(used only in the passive, without by)1  (abbr. b.) to come out of your mother’s body at the beginning of your life


とあり、冒頭に「受動態のみで使う、byはつかない」と但し書きが書かれていました。やはり受動態ではあるようです。

"Longman Dictionary of Contemporary English"に至っては


1 be born
when a person or animal is born, they come out of their mother’s body or out of an egg:
(略)
be born into/to/of sth (=be born in a particular situation, type of family etc):


というシンプルな説明。もはやbyがどうのとは書いていないので、後ろに続く前置詞は例文で把握してね、ということでしょうか。

ここまで調べて、「"I was born"は受動態である。ただし、born byの形にはならない」という結論に至りました。

なぜbyでbornの動作主を表さないのかは、①「bear[産む]という動作の結果を表すborne」と「誕生した状態を表すborn」という、2つの過去分詞の違いが関係しているのではないか、②byで動作主を表すと主語(生まれたほう)よりも動作主(生んだほう)にウェイトが置かれすぎてしまうが、それならShe has had several children.のように動作主を主語にした能動態のほうが自然だからではないか、という2つの説を推測しましたが、ここまで調べてまとめるのに思いのほか時間がかかってしまったので、今回はここまでとします。

「隠れる」、「生まれる」という言葉のおもしろさについてちょっと書いてみようと気軽に始めましたが、思いがけず沼地に足をつっこんだような形になってしまいました。日本語の動詞の活用形や受動態については、ちょっと調べただけで多くの論文がヒットするなど、今回書こうとしたことが大きな一研究分野なのだとわかりましたし、日本語の口語を説明する語彙が自分に全然なかったことも実際に書いてみて気づきました。

うまくまとめられませんでしたが、翻訳の仕事中に辞書、文法書、ネットなどを行ったり来たりして調べて裏取りに至るまでの過程を思いがけずお見せする形になったように思います。

お読みくださってありがとうございました。

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