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つばめ翻訳のブログ

在宅フリーランスで翻訳業をしています。翻訳の仕事、勉強、イベント、読書と言葉について書いています。

15分の魔法

読む量・書く量を増やしたいと思い、最近は「15分やる」ことを心がけています。寝る前に15分だけ読みかけの本を読む、仕事を始める前に15分だけブログを書く、15分だけ課題図書を解くなど。まとまった時間を取るのは難しく、しんどくてやる気が出ないときもありますが、「とりあえず15分(きつければ5分)」と思って始めると意外と続けやすく、読み進められずにいた本も終わりに近づいてきました。「15分」は短く思えて構えずに済む一方、実際にやってみるとまとまった量を進めることができ、満足感も大きいような気がしています。

先日受けた翻訳校閲講座の講師をされていた久松さんも、「英語力をつけたければ、毎日原書を5分音読、15分黙読するのがおすすめ」とおっしゃっていて、以来私も実践しています。「何より読んでいて楽しいのものを!」ともアドバイスいただいたので、原書と訳書を読み比べようと思いながらずっとほぼ積読になっていた、アガサ・クリスティの『第三の女』を今は読んでいます。訳書は早川書房の小尾芙佐さんのものです。最初に原書を5分音読、15分黙読して、その時間で読み終えた部分を訳書でも読みます。原書で「どう訳すんだろう」と気になったところ、訳書で「自分には出てこない表現だ」と思ったところに線を引き、英単語を書き込みます。じっくり読むと、音読から通して計40分くらい。15分は大幅に越えてしまうのですが、「まずは15分以内でいいからやろう」と思うことで、日々の習慣化に近づいています。まとめて40分取れないときは、1回目に原書15分、2回目(または次の日)に15分などでもいいような気がします。

先日のウェビナーで渡邉ユカリさんも、「ブログを書く時間は15分」と決めていたとおっしゃっていました。

15分を勉強にあてるのは、たぶんいろいろな方が実践されていて、いろいろな場で発信してくださっているように思います。実際に、2016年にJTF翻訳祭でも私はそのお話を聞いたようで、参加後に書いたブログでも「15分勉強やってみることにしました!」と書いていました……。が、いつのまにかすっかり忘れて、今回また新たに新鮮な気持ちで取り組み始めたところです。15分やると一瞬日常のストレスが軽くなり、「自分のために時間を使えた」という実感が得られるのも、自分にとってはいいような気がしています。

通翻訳者のみなさんは勉強熱心な方ばかりで(というか、そうでないと続かない仕事だと思う)、スケジュールが案件でぎっしり埋まっている方も、なにかしらの方法で時間を確保して少しずつ新しい知識を身につけるよう心がけていらっしゃるようにお見受けします。子どもが小さくて家事・育児に時間を取られていることは事実なのですが、「普段の自分」を忘れないためにも、なんとか15分は自分の勉強に向かうように努めたいなと思っています。

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渡邉ユカリさんのウェビナー「フリーランス翻訳者の売り込まない営業術」を拝聴しました。

渡邉ユカリさんによるウェビナー「フリーランス翻訳者の売り込まない営業術」を拝聴しました。渡邉さんのお話は昨年の日本通訳翻訳フォーラム2021でもうかがっており、そのときのことも印象に残っていました。そのため、今回もぜひお話をうかがいたいと思い、申し込みました。
 
渡邉さんは、ご自身がすでに日々実践されている工夫をいつも惜しみなく共有してくださいます。今回は、翻訳者を探している顧客が閲覧したときに安心感を覚えて実際に発注してくれるように、渡邉さんがどんな場所にどんな情報をどのように置いているかを具体的に教えてくださいました。
 
拝聴後、さっそく新しい場所で情報を開示してみようと、渡邉さんがご紹介くださったサイトを開いてみました。でも、どんなふうに情報を書こうか迷ってしまい、登録済みのアメリアでの公開内容をたたき台にしようとページを開きましたが、今度はそちらに書いてあった内容を手直ししたくなり、その修正だけで今日は終わってしまいました。新しいところへの登録は、今一度情報を精査しながら、どこまで開示するか考えてみようと思います。「情報の開示は自分が心地よいと思えるレベルで」という渡邉さんの言葉を念頭に置いて。
 
実名の情報とブログを紐づけることについて、質問もさせていただきました。このブログでは累計で100本ほど記事を書いてきましたが、ご覧のとおり翻訳の仕事だけに特化した内容ではありません。そのため、これまでは実名の情報とあまり紐づけていませんでした。そこで、翻訳を中心テーマにしたブログを新たに立ち上げて実名の情報と紐づけるほうがよいかどうかを渡邉さんにお聞きしました。渡邉さんは、別媒体を使うなどして別立てにしたほうがいいでしょうとアドバイスをくださいました。

このブログは、書く練習を重ねること、自分の考えを整理することを主な目的にしていますが、渡邉さんが今回お話しくださったブログやSNSの活用は、自分の翻訳者としての信頼度を顧客や同業者に伝えて実際に仕事の受注につなげるためのもの。やはり、純粋に翻訳の仕事を増やすためのツールとしてこのブログを実名と紐づけるのは少し違うかなとあらためて思いました。

ただ、翻訳に特化した記事を別媒体でこれから何本も書いていくのは、時間と気力的に難しそうだというのが正直なところです。一方で、いまの私にはこの場で「書く」という行為が日々のストレスをコントロールするのにもだいぶ役立っているため、この環境は維持していきたいと思っています。また少しずつ考えていきます。
 
渡邉さんは現在とてもお忙しく、スケジュールにまったく空きがないとのこと。そのようなプロフェッショナルな方が、こうして情報を共有してくださることがとてもありがたく、感謝しています。貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました!
 
(「日本通訳翻訳フォーラム2021」について、まだアップしていなかった原稿がありましたので、こっそり昨年の日付で記事を公開しました。)

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最近読んだ本:『読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか』

フェミニズム関連のさまざまな書籍が紹介されている本と聞き、「フェミニズムの本ってちゃんと体系的に読んだことがないなあ」と思い、手に取りました。開くまえは、フェミニズム分野の歴史的名著の内容を順にまとめていくような内容を想像していましたが、実際はまったく違う本でした。
 
ページを開いて最初に登場するのは、あかちゃんの夜泣きに対応するために、浅い眠りから目覚めて起き上がる母親。隣で寝ている夫は子どもが泣いていることに気づいたのに、顔を背けて寝続けている。

[引用ここから]

娘が目を覚まさないように私は筋肉の震えを静め、腕と脚の感覚がなくなってもそのままじっとしている。しかし、頭の中ではいろんな考えが渦を巻く。私は母であり、妻であり、それに――しばらく頭が働らかなくなる。夜が明けて日の光が寝室の壁を這いあがっていき、私はまだ目が冴えたまま、自分がどういう経緯でここに至ったかを考える。
(P. 14より)

[引用ここまで]
 
この箇所を読んだとき、ククが生まれて数か月、夜泣きが1時間おきになり、やっと眠ったとベッドに置いても、こちらが寝入るまえにまた泣き出し、薄暗いリビングで授乳しながら時計をじっと見つめていた自分の姿がぱっと頭に浮かびました。だれも見る者はいないはずの夜中、時刻合わせのためにスーッと動き出す電波時計の秒針。外からの光も音もほとんど届いてこない時間に、子どもの温かさと湿り気だけを抱え、それ以外のすべてから自分が断絶されたような感覚を覚えていました。
 
著者のステファニーとかつての自分が重なった瞬間、これはフェミニズムの文献を客観的に紹介する本ではなく、産後に自分のアイデンティティの揺らぎを感じた女性が、フェミニズムの歴史的名著を読みながら自分を模索していく過程を書いた本なのだと理解しました。
 
ステファニーは産後のぐちゃぐちゃな状態からなんとか脱したいと思い、本に助言を求めて書店に向かいます。ある日、女性学の棚でベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』に行き当たり、大学3年生のときにこの本と最初に出会った「フェミニストのテキスト講座」という授業のことを思い出します。自宅の屋根裏部屋にしまってあった思い出の箱のなかには、当時その講座で使ったノートがまだありました。ステファニーは母校でこの講座を再度受講することを思いつき、教授に問い合わせ、聴講生として母校に戻ります。
 
本書では、この授業のなかで課題図書となったフェミニズムの本をステファニーが再読し、年齢を重ね結婚・出産を経て自分の読み方が変わったことを実感しながら、それぞれの本の内容、著者、執筆当時の時代背景、現代社会における解釈などについて考察していきます。
 
課題図書の内容がただ羅列されるよりも、ぐっと身近に感じられる構成でした。というよりも、実際は「身近に感じた」どころではなく、ステファニーが家事・育児・仕事で感じている日々の悩みや焦燥感、怒り、戸惑い、不安などは、私にもほぼそっくりそのまま覚えがあるもので、自分のこの数年間が書面に再現されているかのようでした。ステファニーのいらだちに共感しすぎて涙まで出たほどです。ステファニーがフリーランスのライターとして家で仕事をしているという状況も、職種は違えど自分と同じで、休みの日にいたしかたなく仕事をしなければならなくなったときの焦りや、話しかけてきた子どもに対して感じてしまうイライラや申し訳なさなどにも強い共感を覚えました。
 
例えば、こんなところ。
[引用ここから]

少なくとも今のところは、私は母親とライターというふたつのアイデンティティがほどけないように、なんとかやりくりしていると信じたい。
これはいい時の例だが、悪い時もあり、相対的にそのあいだに満遍なくさまざまな場面がある。怒りがあっという間に激しく燃え上がると自分でも怖くなる。ときどき限界を超える仕事を引き受けたと感じると、ぷっつり糸が切れる傾向がある。すでに幼稚園に遅れそうなのに、シルヴィアが靴をはこうとしないとき、私は少し乱暴に靴をはかせる。
(P. 200より)

[引用ここまで]
 
ところで、この本を読みながら、大学時代に男性の教授から言われた「女性は絶望すると大学院に行くんですよ」という言葉が何度も思い浮かびました。言われたときは、まるでこれからの人生で必ず絶望するという呪いをかけられたようで反感を覚えましたが、当時できることなら大学院に進みたいと思っていたこともあり、大学院には絶望後の希望につながるものがあるのだろうか、とも思いました。育児・仕事・家事を抱えている現在、絶望に近い感情にさいなまれる瞬間も正直あります。絶望した私がまた大学(院)に行くとしたら、ステファニーのようになるのだろうか。ステファニーが聴講したのは絶望したから? 答えの出ない疑問が、繰り返し頭をかすめました。
 
家庭や仕事のなかで、作家レイチェル・カスクが言うように子どもと一緒にいるときもいないときも普段の自分でいられないと感じるほど、自分が分裂したように感じていたステファニー。2年間の聴講を終えた後、大学生のころの自分といまの自分は「同じ線上のふたつの点」(P. 342)であり、決して分裂してはいなかったと気づきます。大学を卒業した日にキャンパスに置いてきてしまった当時の自分。いまの私にはまるで別人のように感じられ、遠い存在でしかありません。その境地に達したステファニーがうらやましく、同時に明るい希望を示してくれたようにも思え、胸がぎゅっと締めつけられました。
 
表紙に描かれている女性そっくりに、ククが寝ているベッドのわきで読書灯の小さなあかりを頼りに夜な夜なこの本を読み進めたことを、きっとずっと忘れないと思います。
 
この本を世に出してくださった、著者のステファニー・スタールさん、翻訳者の伊達尚美さん、出版社のイースト・プレス社に感謝を。
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ククが出会った絵本:『みずをくむプリンセス』

ククが図書館で借りてきたなかに『みずをくむプリンセス』(原題:The Water Princess。スーザン・ヴァーデ文、ピーター・H・レイノルズ絵、さくま ゆみこ訳)という1冊がありました。ククは「プリンセス」という言葉にひかれ、表紙が見える形で並んでいたなかから選んだようです。
 
舞台はアフリカの乾いた大地。朝、女の子ジージーは眠い目をこすりながら、お母さんと一緒に川に水をくみに出かけます。途中、大きな木の陰で休まなければならないほど、遠く離れた川まで。川に着いても、日差しをさえぎるものもないなかで行列に並び、ようやく順番がくるとひとすくいずつ壺に汲みます。水で重くなった壺を頭に乗せてようやく家にたどり着くと、もうお父さんが畑から帰ってくる時間。茶色くにごった水をわかして、洗濯をして、ごはんを作ります。ようやく飲めるようになった水でのどをうるおし、日の沈みかけたなかで草や風や犬と少し遊んだら、もう寝る時間がやってきます。明日の朝にはまた、お母さんと水を汲みにいきます。
 
ブルキナファソ出身のモデル、ジョージー・バディエル(Georgie Baddiel)さんの実体験をもとにかかれた絵本とのこと。ジョージーさんはVogueなどのファッション誌のほかランウェイでも活躍。成功後に基金を立ち上げ、地元の小学校に井戸を作られたそうです。
 
自宅や集落に水道設備がなく、生活のために離れたところまで水を汲みにいかねばならない地域があることはなんとなく知っていましたが、それが1日がかりの仕事だということは、恥ずかしながら初めて知りました。絵本の挿絵には、まだ壺も持てないほど小さな子の手を引いて、さらにあかちゃんも抱いている母親の姿もありました。水を汲みにいくのは、どうやら女性と子どもたちの仕事になっているようでした。
 
ククは家に帰ってきてから自分でこの本を開き、ひと通り読んではいましたが、おそらく「プリンセス」という言葉からイメージしていた内容とはかけ離れていたのでしょう。何も言わずに本を閉じました。返却日になると、「この本は借りたくなかった」と小さな声で言いました。
 
「プリンセス」と呼ばれ、かわいらしいものに囲まれ、華やかな衣装で踊る女の子たちが好きなククにとって、この本はどんなふうに映ったでしょうか。地球儀のうえにあるアフリカ大陸で、実際にこうして暮らしている女の子もいるということがわかったのか、そこに何かを感じたのか。あえて問いかけはせず、「こういう本もあるんだよね。読みたい本、読みたくない本があるのは、それはそれでいいんだよ」とだけ話しました。
 
こういった問題が自分の生活と地続きな事柄でもあるとだんだんと知っていってほしいと思う一方、現実を知るときにククが苦しさを覚えるだろうかと思うと、伝え方がわからず、途方に暮れるときもあります。でも、将来、またどこかで同じような光景を見聞きしたときに、「いつか読んだあの絵本にかかれていたことだ」と、うっすら思い出すかもしれません。そういうふうに、絵本と子どもの「その後の世界」とがつながるとき、なにか大切なものが生まれるのではないかなと思っています。絵本にはそういう力があり、そして、新しい世界に出会った子どもを見守る親にこうして何かを考えさせる力もあるような気がしています。
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ウェビナーさらにいろいろと

先日の海外のbirdabilityのウェビナーに続き、翻訳に関するオンラインでのイベントやセミナーに立て続けに参加しました。自分の体調、家族の生活、仕事の状況(急な変更を含む)がたまたまうまい具合にかみ合い、私にしては珍しくアクティブな1週間となりました。それぞれのウェビナーについて簡単にまとめます。

・名古屋外国語大学主催のシンポジウム「翻訳 ひるがえって やくす:英語圏文学とロシア文学の翻訳者が語る
講師:金原瑞人先生「翻訳家という生き方、翻訳という仕事」、亀山郁夫先生「翻訳について考えたこと」

SNSで編集者の方がこのイベントを紹介してくださっていて、平日日中の時間なら視聴できそうだと申し込みました。

文芸翻訳の大家である金原先生と亀山先生が、講演会の前半・後半に分けて順番にお話しくださり、お二人を対比するような形で拝聴できたとても貴重な時間でした。

お二方とも決してネガティブな内容ではなく、むしろ明るく前向きな方向でのお話だったというのに、なぜか文芸翻訳という仕事に対する「諦観」「絶望」が通奏低音のように流れていたような……。個人的にそんな印象を持ちました。金原先生は楽天的、亀山先生は悲観主義的でいらっしゃるのかなと僭越ながら拝見しましたが、金原先生は達観あっての楽天主義を、亀山先生は悲観主義的だからこそのユーモアをお持ちでいらっしゃるようにも思えました。その「あきらめ」「絶望」というのは、文芸翻訳の真の難しさを知っているからこそ、その仕事に真摯に向き合ってこられたからこその「割り切り」といいましょうか……。不思議な、そして味わい深い講演会でした。

大学の会場で大学の先生がお話されるのを聞く機会は本当に久しぶりで、画面越しながらその空気がなつかしく、せつなくもなり、いろいろな感情がこみ上げました。

・毎日文化センターでの「ミスを落とさずスピードアップ!翻訳校閲オンライン講座
講師:久松紀子さん(校閲者・英日翻訳校閲者)
前回は都合が合わず、受講を見送った久松さんの校閲講座。予習課題に開講直前に取り組んだため、開催中に脳の糖分が切れた感じがして、あわててジュースなどで補いながら拝聴しました。そのくらい濃密で、スピード感のある講座でした。

翻訳校閲といっても、「実際に校正・校閲ではこう赤を入れます」という漫然とした手順の説明ではなく、翻訳者・校閲者が見逃してしまいがちなミス、しかもその傷が大きいところにポイントが絞られていて、校閲者だけでなく翻訳者もすぐに実務に活用できる情報が満載でした。「校閲」の全体像についての説明、事前課題の解説、ミニワーク、翻訳/校閲時の理想的なコメントについての説明などが絶妙なバランスで組み込まれ、時間配分も完璧で、実際のお仕事でも常に後工程のことを考えていらっしゃる久松さんの姿勢が講座全体にあふれているように感じました。

・洋書の森「おしゃべりサロン
出版翻訳を学ぶなかで「洋書の森」のお名前は何度となく見聞きし、版権フリーの洋書が集められたライブラリーにも文芸翻訳を志す身としてはぜひ一度うかがいたいとずっと思っていましたが(ライブラリーは現在は閉鎖)、地方住まいを言い訳に時間ばかりが過ぎていました。

毎月開催されているこの「おしゃべりサロン」も、申し込もうか迷っているうちに出遅れて定員になってしまうことが続いていました。今回は、そろそろ始まるはずだった仕事のスケジュールが偶然変更になり、さらに「まだ残席あります」というお知らせを開始少し前にSNSでちょうど目にしたため、初めて参加することができました。

「出版翻訳を学習中の方が多いのかな」と思いながらいざオンラインでつながってみると、ほぼ全員の方が大ベテラン。すでにお訳書を複数お持ちで出版翻訳歴も長い方々ばかりで、すっかりあがってしまいました。ボランティアで運営してくださっているスタッフのみなさんが気を使ってくださり、初参加者に発言の機会をたくさん設けてくださったというのに、私はというと手も声も震えていました。みなさんの自己紹介にも、他の方の質問に対するみなさんの回答にも、実務翻訳とはまた異なる側面で役立つ情報がたくさんあり、自分のこれからを考える判断材料もいただきました。

おしゃべりサロンでのやりとりの中で「出版翻訳を仕事にするには、出版の世界の空気に触れることが大切」というお話がありましたが、おしゃべりサロンはまさにそれを実体験できる数少ない貴重な場だと思います。ふだん家で仕事をしていると近所の人と顔を合わせる機会すらあまりなく、出版翻訳者の方と会って話をするなんて想像もできないような毎日です。オンラインとはいえ、こうして出版に携わるみなさんにお話をうかがえるのは本当にありがたいことでした。

ウェビナーでさまざまなプロの方のお話をうかがう意味は私にとって大きく、今後もできるだけこういった機会に参加していきたいと思っています。

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