fc2ブログ

つばめ翻訳のブログ

在宅フリーランスで翻訳業をしています。翻訳の仕事、勉強、イベント、読書と言葉について書いています。

最近読んだ本:『葦の浮船』

どろどろした重厚感のあるフィクションに、たまに無性に接したくなります。今回は、松本清張の『葦の浮船』を読みました。
 
 
企業ではなく大学の史学科が舞台ということで、学術の世界のどろどろというのもいいかなと思って選びました。
 
見目がよく学術的な業績も豊富で、何事もそつなくこなす助教授Aと、実直に研究を続けているものの、服装に無頓着で他人と話すのが得意ではない同じく助教授のB。友人同士の二人が対比的に描かれていき、悪いヤツがいつ痛い目に遭うかと考えながら読み続けましたが、その瞬間は訪れず、読み終わったときは胸がすく感じはありませんでした。
 
読後しばらくたってこの本のことを思い返してみると、歯がゆいほどに純朴だった人物がキラリと光って記憶に残っています。大学という沼の泥を散々かぶっても、友人から好き勝手に使われても、芯の揺るがない人物でした。やりたい放題だった助教授Aの所業は強烈でしたが、それさえも、浮世離れしたその人物を際立たせる背景だったようでした。学術界のどろどろのなかでひたすら学問に邁進する尊さを描くのが、この作品の目的だったのでしょうか。こんな孤高ともいえる人物はファンタジーにしか存在できない理想像なのではないかとも思いますが、もしかしたら学術の世界には本当にこんな人がいるのかもしれません。何より、凄みのあるリアリティを大切にする松本清張の作品ですから。
 
巻末の文庫化に際しての解説には「…生活や風俗の一部はともかく、全体として古びた印象はない。今度初めてこの作品を手にとる若い読者も、さほどの違和感なく物語に接することができるだろう。」とありましたが、女性の描き方にはだいぶ時代の古さを感じました。女性観も上記の「風俗」のひとつに入るのかもしれませんが、どの女性キャラクターも実に気の毒な扱われ方でした。純朴な助教授Bにさえも、女性を軽視しているような姿勢が見え隠れしているように感じました。どろどろしたなかで、女性がしたたかにやり返すような場面もやっぱり見たかった。今度は『黒革の手帖』を読んでみようかな。
 
読んでくださってありがとうございました。
読んだよ代わりにポチッといただけるとうれしいです。
にほんブログ村 英語ブログ 英語 通訳・翻訳へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



PageTop

無粋なことを

いま受けている文芸翻訳の講座では、事前に指定箇所を訳して提出し、授業開始前に先生ご自身の訳例とほかの受講生のみなさんの訳文をデータでいただくことができます。実際にオンラインで授業が始まると、先生の解説を聞きながら、原文、自分の訳、訳例、ほかの方の訳を適宜見比べていきます。先生はその日の指定箇所の原文をいくつかに区切り、各部分の文章の構造や、訳すときに注意が必要なポイントなどをざっと説明したあと、受講生数人の訳文がどういうふうに表現しているか、間違いやすい部分にひっかかっていないか、訳しにくいところをどう処理したかなどを見てくださいます。

先生の解説を聞きながら自分の訳を省みているとき、自分がやりがちなある間違いに気がつきました。原文があえてぼかして書いているところを具体的に説明しすぎてしまう、ということです。

2016年、翻訳フォーラムに参加し、「原文を読んで絵を描く」というお話をうかがってから、原文に書いてあることを具体的にイメージしようという思いがそれまで以上に強くなりました。その結果、自分のなかで絵を組み立てようとするあまり、原文があえて書いていないところまで補ってしまうときがありました。例えば、原文で冠詞がついていない、数がはっきりしていない、抽象的な単語を使っているところなども、自分のなかのイメージがぼんやりしていることに焦って、絵をクリアにしようと情報を足していました。特に文芸では、作品のテクニックとして作家があえて具体的な表現を避けることは多々あるのに、ぼんやりしているその辺りを「これだと正しく訳せない」と思い、一生懸命絵に描きだそうとしていました。それは本当は、ぼんやりしたものをそのまま訳文にうつせない、自分の日本語表現力の問題だったのに。さらに、具体的な絵を描こうとして足した情報=自分の解釈が間違っていれば決定的な誤訳になり、もう目も当てられません。先生のお話を聞きながら、「自分はなんて無粋なことをしていたんだろう」ととても恥ずかしくなりました。ふだん、日本語のフィクションを読むときは、説明しすぎない文体で書かれたものが好きで、言葉が足りないほど簡潔な文章のなかからはっきりと伝わってくるものがあることや、それを読んだときに自分のなかに立ち上ってくる映像を味わうのを何よりの楽しみにしています。それだけに、人の文章を訳すときに、自分がそんな味わいを台無しにしていたんだな……と思うと、顔を覆いたくなりました。

文芸翻訳の講座でそんなことを感じてからしばらくして、今年の翻訳フォーラムが開催されました。そのなかで、高橋さきのさんが「原文のなかに、わからない情報・わざとぼかしてある情報がある場合もある。そういうときに、『書いていない』ということを把握するのがとても大事」というお話をされていて、「あ、これは文芸翻訳のときに感じたあれだ」と思いました。文芸翻訳の講座では、自分が感じた上記のような思いを口に出して先生に確認はしなかったのですが、期せずしてさきのさんのお話で裏取りができたような気持ちがしました。

翻訳時に「絵を描く」ということを最初にうかがった2016年の翻訳フォーラムでもきっと、「原文に書いていないことは絵に加えない」ということは当然の前提としてお話をしてくださっていたと思います。それを私は、ようやく6年越しに理解できたのでした。

2016年以来、初めて参加できた翻訳フォーラムで「絵を描く」お話のアップデート版をうかがうことができたのも、文芸翻訳の講座と共通するポイントをつかむことができたのも、意味のあることだったと思います。実務と文芸は違うように見えるときもあるけれど、外国語を理解するという点ではやはり共通するものがあるのだとあらためて思いました。

せっかくここで気づくことができたのだから、これからの自分の翻訳にこのポイントを生かし、無粋なことをしないように、ないものは描かず、原著者のほうにも読者のほうにもしっかり顔を向けた訳文を書けるように努めていこうと思います。

読んでくださってありがとうございました。
読んだよ代わりにポチッといただけるとうれしいです。
にほんブログ村 英語ブログ 英語 通訳・翻訳へ
にほんブログ村

PageTop

最近読んだ本:『写楽』

最後のページを読み終えた瞬間、「すごい本を読んでしまった」と思いました。

寛政の改革で、幕府によって市井のいろいろなものが厳しく取り締まられていた18世紀の終わり。周りからきつく当たられつつも芸を磨き、市川団十郎をまぶしく見つめる稲荷町役者。取り締まりに反発しながら、世に出す価値のある作家を探し求める地本問屋。危ない橋を渡りたくない黄表紙作家。吉原の花魁と振袖新造。芸妓時代に心中に失敗し、三味線と歌でその日暮らしをするこじき。好んでまっとうな生活からはずれたわけではなく、自分の生きる領域がお上の政策によってアンダーグラウンドに(近く)なってしまった人たちが、知恵を絞り、おとがめの隙間をぬって生きていました。「華美な風俗」として文化や芸術が恣意的に管理されるのは、なんとも息苦しいものです。

皆川博子さんの作品では、『開かせていただき光栄です』を以前に読みました。この作品の印象が強く、皆川さんというと耽美な西洋風のミステリが多いように錯覚していたため、本作を見つけたときは意外な心持ちがしました。実際は、皆川さんは日本を舞台にした時代小説も数多く手がけられています。そのうちのひとつを読んだ篠田正浩監督が、皆川さんなら映画『写楽』の脚本を書けると確信して執筆を依頼したそうです。映画『写楽』は1995年に真田広之さん主演で公開されていて、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません(恥ずかしながら私は作品自体の存在を知りませんでした)。本作はその脚本を皆川さんご自身が小説化したものです。

本作はさらに漫画化もされています。皆川さんは漫画版に寄せたあとがきで「小説を書くのに、視覚型の人とそうじゃない人があるそうですが、私は視覚型で、まず、情景が絵のように浮かび、それを文章にしていきます」と書かれています。そのためなのか、読んでいるときに登場人物たちの顔かたちや部屋の様子、薄暗い劇場の様子などが頭のなかに浮かんできて、まるで映像を見ているような感覚がありました。顔や髪型がどうとか、着ているもの、家財道具の配置、町並みの様子などが説明的だなと思うことはまったくなかったのに。文章を追うだけで登場人物たちや町の空気が動き出すような感覚を味わえるのは読書の醍醐味であり、そこに文章家の力があるように思います。

描写といえば、皆川さんの作品はセリフにことのほか生命力があります。『開かせていただき~』では、英国ロンドンの若者たちが目前で(日本語で)会話しているように思えましたし、本作でも歌舞伎役者や町人がその独特な言い回しで話す声が聞こえてくるようでした。伝わってくるのは登場人物たちの性格や彼らの生きる時代だけで、作家自身の属性は透けてきません。『開かせていただき~』を読んでいる最中は、皆川さんは18世紀英国にはまった若い作家さんだと思い込んでいたほどでした。読み終えた後に、皆川さんってどんな方なのだろうと調べてインタビュー記事を見つけ、白髪の上品なお姿を初めて拝見して衝撃を受けました。セリフだけでなく地の文にも、ご自身の年齢や作品が出版された時代が感じられないのです。本作も、単行本で刊行されたのは1994年ですが、いま読んでもまったく古さを感じません。

本作が映像のように私のなかに立ち上がり、歌舞伎役者がセリフを話しているような気分になったのは、今年に入ってから見たドラマ『忠臣蔵狂詩曲No.5』の影響もあったかもしれません。ドラマの主人公は歌舞伎役者・中村仲蔵で、稲荷町で苦労する境遇などが本作の主人公と共通していて、ドラマで描かれていた芝居小屋の裏側が本作にもちょうどぴたりとはまりました。いま調べたところ、中村仲蔵が亡くなった数年後に写楽の浮世絵が世に出たようで、二人とも寛政の改革を経験していますし、二作品の時代背景はかなり近いと言えそうです。

本作の主人公と彼を取り巻く人々がどう収まるのかとずっとハラハラしながら読み進めましたが、最後はまるで幕がバサッと下ろされたようでした。現代にも作品が伝わる浮世絵師でありながら、活動期間はわずか10か月だったという写楽。その写楽とは何者だったか、皆川さんの解釈を味わい尽くせる1冊です。

読んでくださってありがとうございました。
読んだよ代わりにポチッといただけるとうれしいです。
にほんブログ村 英語ブログ 英語 通訳・翻訳へ
にほんブログ村

PageTop