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19世紀の女性誌「ラ・ベル・アッサンブレ」

ブログ翻訳010
レイチェルさんから預かっていた記事、最後の4本目です。
19世紀はじめに英国で出版されていた雑誌「ラ・ベル・アッサンブレ」のまとめです。
Googleブックスで創刊号の誌面を実際に確認しながら訳すことができ、
とてもおもしろかったです
200年前の英国の雑誌を読むことができるなんて~!

ラ・ベル・アッサンブレ
レイチェル・ノールズ
1_Front cover of La Belle Assemblee Feb 1806
「ラ・ベル・アッサンブレ」の扉(1806年)
(訳注:「ラ・ベル・アッサンブレ」は「美しい社交界」の意)


唯一無比の雑誌
『ラ・ベル・アッサンブレ――ベルがレディに贈る 宮廷社交とおしゃれの雑誌』はレディ向け月刊誌で、1806年2月に誕生した。このタイトルでしばらく発行された後、1832年に『宮廷社交のための読み物とベル・アッサンブレ』に変わり、その後『レディのための読み物と美術』と合併した。

創刊者のジョン・ベルは、1806年から引退する1821年まで同誌を発行した。ベルは新しい雑誌を次のような言葉で読者に宣伝した。「私たちの雑記集第1号を世に出すにあたり、ひとつの大仕事の基礎を成しつつあると自負しています。指南内容の幅広さ、娯楽情報の多彩さ、付録の美しさ。どれをとっても月刊誌の歴史において並ぶものはありません」。

「ラ・ベル・アッサンブレ」は同時期の他の雑誌に比べかなり高価だった。1807年はじめの価格は2シリングと6ペンス、つまり半クラウンだった。後に発売された特別版には色つきのファッションプレート(訳注:流行ファッションの版画)がついてさらに高い3シリング6ペンス、1811年末の広告に記載された1812年中の価格は3シリングだった。

付録付き雑誌
創刊時には読み物とファッションの二部構成だったが、後にこの区分はなくなった。同誌の読み物の量は『月刊 レディの美術』のような当時の他誌よりもずいぶん多く、付録の数も多かった。通常、付録として版画、オリジナル曲の楽譜、刺繍の図案、ファッションプレート2枚がついていた。

2_le_belle.png
左:イブニングドレスか舞踏会用のドレス
右:散歩着か馬車用のドレス
「ラ・ベル・アッサンブレ」1807年4月号のファッションプレートより


著名な貴婦人の紹介
読み物の部は、版画家による挿絵が添えられた著名な貴婦人を紹介する記事で始まった。創刊年に取り上げられた貴婦人は、シャーロット王妃、皇太子妃、王族のソフィア・オブ・グロスター、デヴォンシャー公爵夫人(版画はなし)、プリンセス・ロイヤル(第一皇女)シャーロット、ソフィア・オーガスタ王女、エリザベス王女だった。後の号では、女優のシドンズ夫人、摂政宮(後のジョージ4世)の内縁の妻フィッツハーバート夫人、有名な歌手マダム・カタラーニも取り上げられた。
3_Duchess of Brunswick rev
ブラウンシュヴァイク公爵夫人の版画
ラ・ベル・アッサンブレ(1807年)より


記事の独自性
「ラ・ベル・アッサンブレ」は記事内容の独自さに誇りを持っていた。貴婦人紹介の次のコーナーではオリジナルの通信や手紙が数多く掲載されていたが、その後の数年でこのコーナーの名前は何度か変更された。そのほか、様々な逸話、『新世界の歴史』などの韻文のほか、『女性のための作法格言集』のような健康、美容、作法に関するアドバイスもあった。
4_Maxims for conduct March 1806a
1806年の「ラ・ベル・アッサンブレ」の記事
(訳注:『女性のための作法格言集』の部分です)


「日々に役立つ科学のレッスン」というコーナーもあり、台所の整え方、植物、紋章、園芸などのテーマを取り上げている。

連載小説
短編や連載小説もあった。掲載された作品のひとつにキャサリン・ハットンの『結婚――夫とオークウッド・ハウスを求めて』があったが、これは後に『オークウッド・ホール』のタイトルで出版された。詩や音楽も重要なコンテンツであり、同誌オリジナルの詩や選ばれた詩、オリジナル曲の楽譜が掲載された。

『鑑賞のキャビネット』
創刊年の号にあった『政界回顧録』というセクションには、ロンドンで公開中の娯楽作品を取り上げるコーナーがあり、劇場で上演されている作品の批評などを掲載していた。このコーナーは翌年以降の号にも継続されて『鑑賞のキャビネット』という別セクションになり、絵画、書籍、音楽、演劇の評論を扱った。ほかに誕生、結婚、死亡のお知らせの欄もあった。

1800年代のファッション
「ラ・ベル・アッサンブレ」の第二部はファッションに充てられ、詳しい説明のついたファッションプレートが2枚挿み込まれていた。このプレートは当初白黒で印刷され、読者のレディが自分で色を塗れるようになっていたが、1807年からは色つきになった。ファッションの部には次月の流行の基本情報のほか、国王の誕生日祝賀会のような重要な社交行事で上流階級の人々が着ていた衣装が詳しく説明された。刺繍の図案もここに含まれていた。最後は広告のページだが、このページに小説の新刊リストも載せられた。
5_le_belle_assemble.png
散歩用のドレス
「ラ・ベル・アッサンブレ」1808年10月号のファッションプレートより


増刊号
毎年増刊号が発行されたが、ここでは芸術や文学を特集していた。初年の増刊号の内容は増刊号発行前の6か月間に出版された文学作品の評論のみだったが、後には詩人アレキサンダー・ポープの作品などひとつのテーマに絞った増刊号もあった。

ネット上で閲覧できる「ラ・ベル・アッサンブレ」の一覧はこちらからどうぞ。ファッションプレートへのリンクもあります。
(訳注:リンク先はレイチェルさんのブログ内の記事で、英語で書かれています)

著者参考資料
『ジョン・ベル(伝記)』スタンレー・モリソン著、1930年
『ラ・ベル・アッサンブレ』数冊 ジョン・ベル発行、1806~1831年


出典
筆者 Rachel Knowles
Regency History La Belle Assemblée
http://www.regencyhistory.net/2011/11/la-belle-assemblee.html
2014/1/11アクセス
Copyright Rachel Knowles All Rights Reserved.


訳したきっかけ
レイチェルさんのブログを見ていて、ラ・ベル・アッサンブレの存在を知りました。
19世紀の女性がどんな雑誌を読んでいたのか興味があり、訳してみることにしました。

訳してみて
「ラ・ベル・アッサンブレ」で検索すると着飾った女性のイラストが多くヒットするので
ファッションがメインの雑誌なのだと思っていましたが、
実際の誌面を見てみると読み物の部分の方が圧倒的に多くて意外でした。
創刊号では全60ページ中、読み物が50ページ、ファッションの部はわずか数ページでした。

読み物の部分は、「レディ」になるために必要と”された”内容がメインでお説教じみていました。
学生のころ調べた、アメリカの「女性の美徳」とよく似ている。
このことについてはまた改めて記事にしようと思います。

反省点・課題
・Ladyをどう訳すか。
貴婦人? 淑女? レディ? 女性?
「ラ・ベル・アッサンブレ」が”レディ”としていたのは誰だったのか。
1806年の創刊時の”レディ”とヴィクトリア朝時代に入った1830年代以降の”レディ”は
また違ったのだろうか。

・雑誌、出版に関する用語。

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