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つばめ翻訳のブログ

在宅フリーランスで翻訳業をしています。翻訳の仕事、勉強、イベント、読書と言葉について書いています。

テーマのひとつ

先日、翻訳フォーラムのウェビナー「翻訳者のなり方・続け方」を拝聴しました。
その中で、「1時間話せるくらい好きなものがあるといい」というお話があり、SNS上でも翻訳者の方々からの「自分はこれなら1時間話せる」という書き込みが続いています。
色々好きなものはあるけれど、今の私には1時間話せるほどの知識や信頼できる情報の裏付けがないな…と思っていたのですが、1つ自分の中で人生のテーマになっているようなものがありまして、数年間放っていた本ブログの過去記事にもまとめたことがないようだったので、ちょっと書いてみようと思います。

私にとってのテーマというのは、19世紀のラティーナ(ヒスパニック系の女性)です。

大学の卒業論文で、19世紀の米国南西部におけるラティーナの暮らしぶりについて書き、女性参政権運動などの先頭に立っていた白人の中流階級の女性たちが唱えたシスターフッドの概念が、本当にラティーナにも通じるものなのか、という問いかけをしました。当時のラティーナは農業などを中心に比較的自立して生活していたように私には思え、女性の社会的立場の向上を訴えるために女性を一枚岩のようにとらえるのは白人中心的だったのではないか、と考えていました。

ラティーナについて研究しようと思ったきっかけは、高校生のときにお世話になったホストファミリーがメキシコ系の一家だったことでした。たった1週間の滞在でしたが、家庭ではスペイン語、学校では英語と流ちょうに使い分けている子供たちの様子に驚き、ヒスパニックと呼ばれる人々に興味を持つようになりました。

そのホームステイで関心が芽生えたアメリカ社会や文化、それに英語を大学では学びたいと考えていましたが、入学できたのは第二希望のスペイン語学科。多くのヒスパニックの母語であるスペイン語を学ぶことにも意義があると思ってはいましたが、2年間でスペイン語の基本をマスターすることを目指し、2年連続で基礎科目を落としたら留年ではなく退学という厳しい授業についていくのに苦労し、1、2年のときは泣きながら予習をしたりしていました。結局2年間、なんとかスペイン語学科に在籍しましたが、3、4年も必修科目の内容が濃く、スペイン語学科にいながらアメリカ社会に関する科目も満足に学ぶことは難しいと思い、3年次に英語学科に転科をしました。

4年で待望の米国社会史のゼミに入り、いざヒスパニックについて調べ始めると、「19世紀のラティーナ」というニッチなテーマでは日本語の文献がとても乏しいことがわかり、「それなら自分で!」と余計に熱が入りました。日本で報道されるときは大統領選挙や国境問題の文脈でばかりのヒスパニックの人々に少しでも光を当てたいなどと、今思えば思いあがったことも考えていました。

その後、新卒で入った会社から転職をして勤めた大学のコミュニティ・カレッジでは、一般の方々がヒスパニック社会について知る機会を作りたいと考え、文学、美術、歴史など5つの側面からヒスパニック社会を考察する講座を企画しました。各分野の先生をネット検索して、大学の研究室まで行って講師をお願いし、開講にこぎつけました。

後日、講師をお願いした先生のおひとりに、ヒスパニックについて学会で発表する機会をいただきました。せっかくなので大学の卒論にもう少し肉付けして発表したいと思い、19世紀にラティーナの生活の糧の中心となっていた農業について調べようと、アメリカの大学に資料集めに行きました。大学のキャンパスの雰囲気を見つつ、カリフォルニア、ニューメキシコ、テキサスの図書館やアーカイブスに行き、司書の方に相談しながら文献を探すうちに、Acequia Madre(アセキア・マドレ)という灌漑設備がニューメキシコ州の農業にとって重要だったことを知り、学会の発表の中心に据えました。

その後、仕事や私生活でも変化があり、その学会での発表で、結果としてラティーナの研究については一区切りつけた形になりました。

もうかれこれ15年近く前の話なのですが、普段は出不精の私に、10年近くにわたってこれだけ行動するパワーをくれた「19世紀のラティーナ」という存在は、私にとって大きなテーマでした。15年も経つと、研究が進んで学術面でも色々と変化があったと思いますし、私の言葉も知識も錆びついていて、今ラティーナについて1時間話すという自信は正直ありません。でも、「自分に1時間話すだけのものはあるか?」と自問したときに、いざ関連する翻訳案件をいただいたら調査をする下地はあるし、これからも本などを通して改めて知っていこうという気持ちはあり、ラティーナやヒスパニックのことを自分の一分野としていきたいと思い、今回文字にすることにしました。

ちなみに、コミュニティ・カレッジでのヒスパニック講座に申し込んでくださった方の中に、文学・民俗学・文化人類学の専門家で当時チカーノについても研究されていた井村俊義さんがいらっしゃいました。前回の記事を書いた2017年ごろに取り組んでいたある本の下訳のお仕事は、この井村さんにお声をかけていただきました。下訳についてはまた改めてブログにも書くかもしれませんが、普通に生きていたらきっと出会わなかったと思うような不思議で難解な大作の下訳という貴重な経験をいただき、井村さんに深く感謝いたしております。

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